前回の続きで北条鉄道に乗ってきた記事、後編です。
前回はこちら↓↓↓
今回で3回目。
前回、北条線にのり北条町駅に到着、町を少しぶらりして鉄印帳を購入しました。
鉄印帳です
御朱印帳の鉄道版ですね。
さて、無事に鉄印帳を入手し、次の列車まで時間はありますがホームへ。
留置線にはフラワ2000−2が止まっていました。
昼間は1本の列車が行きつ戻りつしているのですが平日の朝夕は折返し設備を使って2本の列車を運用しているようです。夕方までしばし待機、といったところでしょうか。
ホーム先端からは隣接する工場が少し覗けました。
こちらにも1両止まっています。
運用の時間までしばしの休憩です。
ホームで撮った写真の整理をしていたらあっという間に次の列車が入線してきました。
と、いっても先程乗ってきた列車が粟生まで行って戻ってきた感じですね。
入線後は乗車する人があまりいなかったのですが発車時間になると車内はそこそこの混雑具合で人が乗ってきました。1ボックスに1グループといったところでしょうか。
鉄印帳を手に携えた人もちらほら見えました。でも行きの列車に乗っていなかったんですよね。どこから来たんだか。バスとかですかね。
途中、木造駅舎の播磨下里駅が車内から見えました。
電線が昔ながらの碍子引きで施工されています。
消防法かなにかで新たに施工するのは禁止されていたと思うので現役で見れるのは今のうちだと思います。多分。
畑の中を軽快に走り抜けていきます。
踏切沿いの道に10人くらいの男女が集まってこの今乗っている列車の撮影をしていました。とても地元の人に愛されているんだなあ、とぼんやり感じました。
そうそう、この記事を書いている最中に北条鉄道に新しく気動車が導入されるようで。
新しくといってもJRのお古のキハ40だとか、、、
これはまた乗りに行かないと行けませんね、、、
途中の停車駅でもポツポツと乗客を拾っていきながら、立ち客も出るくらいのそこそこの乗車率で終点粟生駅に到着。
北条鉄道の旅はここでおしまいですが、少し続きます。
乗り継ぎもうまくできていて、7分程度で加古川行き列車が入線、これに乗車します。
103系3550番台です。体質改善40N工事済0番台の中間電動車のMM'ユニットの2両を先頭車改造して加古川線に投入されることになりました。
正面のマスクは先頭車改造に伴い、新規製作。車内装も体質改善済みのためピカピカです。
体質改善40N工事ってのはJR西日本の信念、「古い車両を末永く大切に使いましょう」の信念に基づき、車両寿命を40年に引き伸ばす改造工事のことです。
似た言葉で体質改善30Nってのもありますがそちらは車両寿命を30年に引き伸ばす改造工事のことです。
先程車内はピカピカ、と書きましたがそれは改造後すぐの事。改造されてからすでに年月が経っているのでそれなりにヤれています。
加古川線は現在は単線電化路線ですが、2004年12月に電化されるまでは非電化のローカル線でした。1995年に発生した阪神淡路大震災で山陽本線が被災、東西の大動脈が寸断された際、迂回路として活躍しました。が、単線の上非電化の加古川線には限界があり、同じく非電化の播但線も迂回路として活躍しました。
しかし、この貧弱な輸送力に非常時の代替路線として機能強化を求める声が大きくなり、狭小トンネルのある播但線は電化が難しく、加古川線が全線直流電化されることになりました。
その直流電化に際して103系の中間車が先頭車に改造されて、125系電車を新製して配置されることになりました。
それだけの価値が加古川線にはあるのですね。
さて、列車はこの路線の名前の由来となった加古川を渡ります。
加古川を渡り、右にカーブ。進行方向左手に厄神の車両基地を見ることができます。
列車は市街地を抜けて終点加古川へ到着。
このまま山陽本線に乗り換えて姫路に向かいます。
この駅で新快速の接続をします。
この普通にのって姫路を目指します。
姫路到着。
姫路でも103系の姿を見ることができました。
播但線の姫路ー寺前間、電化区間用の103系3500番台です。
時間がすこしあったので姫路駅を出て山陽電車の駅舎へ。
ホームを少し覗いて見ました。
櫛形の頭端式ホームに電車が並んでいます。
昔の東急渋谷駅みたいな雰囲気です。
ただあちらが最長で10両編成なのに対してこちらは長くても6両。
人口の差を感じました。
さて、これにて今回の旅はおしまいです。前後編で終わらすつもりが長くなってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それでは。